現場作業を革新:スマートグラス/ARで実現する農業技術の遠隔支援・形式知化事例
スマート農業の技術は多岐にわたり、生産効率の向上やコスト削減に寄与していますが、熟練者の技術継承や新規就農者への指導といった「人」に関わる課題解決への応用も進んでいます。本稿では、スマートグラスとAR(拡張現実)技術を活用し、農業技術の現場支援および遠隔指導システムを構築した事例を紹介します。
導入前の課題:熟練技術の継承と指導体制の限界
多くの農業分野において、高品質な農産物を安定的に生産するためには、熟練者の経験に基づく繊細な技術や判断が不可欠です。しかし、農業従事者の高齢化が進むにつれて、これらの貴重な技術やノウハウが十分に継承されないという課題が顕在化しています。また、新規就農者や経験の浅い作業者への技術指導においては、以下の問題点がありました。
- 物理的・時間的制約: 専門家や熟練者が各地の現場に出向いて指導するには、多大な移動時間とコストがかかります。特に広範囲に圃場が点在する場合や、緊急性の高い判断が求められる場合に迅速な対応が困難でした。
- 指導内容の属人化: 口頭や実演による指導は、伝える側のスキルや受け手の理解度によって内容にばらつきが生じやすく、技術の形式知化が進んでいませんでした。
- 現場での情報不足: 作業者がその場で必要な手順書や参考情報にアクセスしにくく、その都度確認のために作業が中断されることがありました。
これらの課題は、技術レベルの平準化を妨げ、生産性の向上や品質の安定化にとって大きな障壁となっていました。
導入されたスマート農業技術:スマートグラスとARを活用した遠隔支援システム
このような課題に対し、ある農業法人では、スマートグラスとAR技術、そしてクラウド基盤を組み合わせた「農業技術遠隔支援システム」(仮称)を開発・導入しました。
このシステムは、以下の要素で構成されています。
- スマートグラス: 作業者が装着し、現場の視界をハンズフリーで共有するためのデバイスです。内蔵カメラ、マイク、ディスプレイを備え、通信機能を持ちます。
- AR(拡張現実)技術: スマートグラスの視界に、デジタル情報(テキスト、画像、動画、矢印、マーカーなど)を重ね合わせて表示する技術です。作業手順の表示や、遠隔からの指示を視覚的に伝えるために使用されます。
- 遠隔コミュニケーションシステム: スマートグラスと、遠隔地にいる専門家・指導者のPCやタブレットをリアルタイムで双方向につなぐためのソフトウェアプラットフォームです。映像・音声通話、画面共有、AR指示の送信機能などを持ちます。
- 技術情報データベース: 熟練者のノウハウをデジタルコンテンツ(動画マニュアル、写真付き手順書、栽培管理データなど)として蓄積・管理するクラウド上のデータベースです。
課題解決へのプロセス:技術が現場にもたらしたもの
このシステム導入により、技術継承と現場指導のプロセスは以下のように変革されました。
- リアルタイム遠隔指導: 現場の作業者がスマートグラスを装着し、遠隔の専門家と接続します。専門家は手元の画面で現場作業者の視界をリアルタイムで確認しながら、的確なアドバイスや指示を音声で行います。必要に応じて、特定の対象物(例:病気の兆候が見られる葉、剪定すべき枝)を指し示すARマーカーや、具体的な作業手順を示すARテキストを現場作業者の視界に表示させます。これにより、専門家が現地に行かなくても、まるで隣にいるかのように詳細な指導が可能になりました。
- 現場での情報アクセス: 作業者はスマートグラスのディスプレイを通じて、必要な作業手順や参考情報をその場で参照できます。例えば、特定の病害虫の判断に迷った際に、データベースから関連情報を呼び出し、視界に表示させながら確認することができます。これにより、作業中断を減らし、正確性を向上させました。
- 技術の形式知化と蓄積: 熟練者の作業風景や指導内容は、スマートグラスのカメラで記録し、技術情報データベースに蓄積されます。これらの記録は、新たな指導コンテンツの作成や、後進育成のための貴重な教材として活用されます。また、成功・失敗事例を形式知として共有することで、組織全体の技術レベル向上に繋がっています。
導入による具体的な成果
本システムの導入によって、以下のような具体的な成果が得られました。
- 技術習得期間の短縮: 新規就農者が一人で基本的な作業を遂行できるようになるまでの期間が、従来のOJTのみの場合と比較して約30%短縮されました。
- 指導コストの削減: 専門家や熟練者の現場への移動時間・費用が大幅に削減されました。特に、広域をカバーする場合、指導にかかる総コストを年間約40%削減できたと報告されています。
- 作業ミスの削減と品質向上: 作業手順がARで視覚的に示されることや、困った時にすぐに専門家の支援を受けられるようになったことで、特に経験の浅い作業者による作業ミスが減少し、結果として農産物の品質安定化に寄与しています。
- 遠隔地からの迅速な支援: 従来の電話や写真だけでは難しかった、ニュアンスや細部の判断が必要な状況でも、現場のリアルな状況を共有しながら的確なアドバイスを受けられるようになりました。これにより、病害の初期対応など、迅速な判断が求められる場面での対応力が向上しました。
- 新たな技術指導モデルの確立: 属人的になりがちだった技術指導から脱却し、デジタル技術を活用した効率的かつ標準化された指導モデルを確立できました。
成功の要因分析と今後の展望
本事例の成功要因としては、以下の点が挙げられます。
- 現場ニーズへの適合: 技術ありきではなく、「熟練技術の継承」「現場指導の効率化」という明確な現場の課題解決を目指した点が重要です。実際に利用する作業者の意見を取り入れながらシステムのUI/UXを設計しました。
- 段階的な導入と検証: 全ての作業に一度に導入するのではなく、特定の作物や作業工程でスモールスタートし、現場での有効性を確認しながら段階的に展開しました。
- 指導側のスキル習得支援: スマートグラスの操作方法だけでなく、AR機能を使った効果的な指導方法についても、指導者向けの研修を実施しました。
- 通信環境の整備: 安定した映像・音声通信を行うため、圃場や施設内のWi-Fi環境を整備しました。
今後の展望としては、以下のような可能性が考えられます。
- AI連携による自律支援: 取得した現場映像をAIが解析し、作業内容の自動認識や、適切な次のアクションをARで提示するなどの自律的な作業支援。
- センサーデータとの統合: 環境センサーや生育センサーからのデータと連携し、例えば「土壌水分が低下しています。灌水手順を参照してください」といった具体的な指示を、最適なタイミングで提供。
- 熟練者の動きの解析: スマートグラスに搭載されたセンサーなどを活用し、熟練者の作業時の身体の動きや視線の動きを解析することで、暗黙知となっていたノウハウをさらに詳細に形式知化し、コンテンツ作成に活かす。
まとめ:新しいインターフェースが拓く農業の可能性
スマートグラスとAR技術を活用したこの事例は、スマート農業が単なる機械化やデータ収集に留まらず、人のスキルや知識の共有、そして新たな働き方の実現にも大きく貢献することを示しています。特に、視覚情報を介してリアルタイムに現場と専門家をつなぐこの技術は、地理的な制約や時間的な制約を超え、農業技術の普及と向上を強力に推進する可能性を秘めています。農業関連技術ベンダーにとって、こうしたヒューマンインターフェース技術の農業分野への応用は、新たなソリューション開発の大きなヒントとなるでしょう。